2011年11月9日水曜日

覚悟はしていたけれど、やっぱり辛い(後編)ということで。

爺様の告別式。

ウチのおとんと従姉のおとんが葬祭会館に宿泊しているので、着替えやらを持参する。
暫くして他の親族も集まって来る。
弟者の娘×2・従姉の息子×3・従弟の娘×1と、何気に子供率高し。
従姉の息子達はそこそこ大きいので、流石に覚えて貰えていた(←何気に嬉しい)
その分、小生意気にもなってたけど(苦笑)

告別式の流れは、昨日の通夜と大体同じだったが…寺の住職がお経を読み上げる中、弟者の娘がドタバタ走り回るは泣くわ喚くわの大騒ぎ。
手を離した瞬間10秒も保たずにウロチョロし出すので、弟者もその度に追い回して大変だなぁ。

そんなこんなで式も終わり。
遺体を荼毘に付して遺骨を引き取るのだが、ここでもすんなりとは行かず

火葬場から、一旦葬祭会館へ戻る。

おかん・叔母さん・婆様は家へ戻り、寺とかに挨拶。

(案の定、長話で)引き取りの出発時間までに戻って来ない。

一先ず、男衆だけで火葬場まで行く。

しかし、血族(=おかんと叔母さん)不在で引き上げる訳にはいかないので待つ。

おかん達、ほんの二時間程前に通った道なのに迷う。

本来なら閉場時間なのだが、ちょっと延ばして貰う。

閉場時間ちょっと過ぎに、やっとおかん達到着。

感傷に耽る暇も無く、ちゃっちゃと遺骨回収。

急いで戻り、住職の講和(?)を聞く。

とまぁ、ドッタバタ。
葬儀なんて早々やる事じゃないからとはいえ、ドタバタのフォローをしてばっかりだったので悲しみに暮れる間も無く、アタシャ涙も出んかったわ。
慌しいうえ騒がしい葬儀で、爺様マジゴメン。

葬儀も一通り終わった後はロクに休む間もないまま、ちゃっちゃと着替えて弟者と共に駅までGo!
明日から二日間は名古屋で研修なので、嫌でも帰らねばならんしね。
本当に嫌なんだけど。

【オマケ】

住職の人の話から判明した、ビックリな事実。

・爺様の家(=おかんの実家)が1720年くらいから続いていた。
1720年って言えば、江戸時代ですやん!?
しかも九州の島津家の出というのが、婆様のホラではなくマジ話だった。
こりゃあ、爺様が生前につけていたとかいう家系図(?)を一度チェックする必要がありそうだな…。

・爺様が銃剣道四段だった。
昔、銃剣道をちょこっと教えて貰ったけど、爺様は有段者だったのか!
しまった、それならもっとちゃんと教えて貰っとくんだった!

・太平洋戦争時代、従軍した40人の中で「唯一の」生存者だった。
ちょ!何気に凄ぇ生存率を掻い潜ってた!?
フィリピンで現地住民と仲良くなって、豚の丸焼きとか食ってただけじゃなかったのか!
しかも銃弾を腕に受け、治療の為に並んでいたけど、控えめな性格で自分の分が来る度に後ろへ並び直していたそうで…そうやっているうちに怪我は治ってしまった。
むしろ正直に並んでいたら、戦時中の雑な治療で腕を切り落とす羽目になっていたかも知れんかったとか何とか…どこまで悪運強かったんだ、ウチの爺様は!?

…いやちょっと待て、何処の誰が「控えめな性格」だって?

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